最高齢ウクレレマン ビル・タピア便り
gray-dot

ハワイからライヴのためにアメリカ本土にやってきているベテランプレーヤー、ベニー・チャンとバイロン・ヤスイ。「ビル・タピア便りVol.2」で彼らのライヴをレポートしましたが、その後彼らはビルの自宅に全員集合しているというので、ミュージシャン同士がどんなふうに過ごしているのか、インタビューも兼ねてハンティントンビーチにあるビル宅に行ってきました。
 
Text & Photo : YUSUKE MAKINO
Design:TARO WATANABE(77GRAPHICS)
 ハワイでトップミュージシャンとして活躍し、世界中にその美しいサウンドを届けるために、アメリカ本土にもたびたびライヴ遠征しているベニー・チャンとバイロン・ヤスイのハワイアン・デュオ。実は9月のライヴ時、ここカリフォルニアで、彼らは親交が深いビル宅に宿泊し、サザン・カリフォルニアでの活動を行っていたのだ。
 ライヴの時とは違い、Tシャツとショートパンツ姿という、いかにもハワイアンらしいラフなスタイルの二人と、自宅にいてもどんな時もオシャレを欠かさないビルのファッションとの差がユニーク(笑)。ビルのマネージャー兼ギタリストのパット・エノスも加わり、ランチタイム・ホームコンサートとなった。笑い声が絶えないアットホームサウンドが家中を満たしている。
 しわがれたビルの言葉に耳を傾け、いつも笑顔でウクレレをプレイするベニーと、優しくバックをサポートするバイロンの表情があたたかい。パットもみなさんがご存知の通り、素晴らしいウクレレプレイヤーでありギタリスト。つけ加えると、バリトンヴォイスのボーカルが最高にセクシーなミュージシャンでもある。そんなカッコいいオジサン(オジイサン!?)たちが生み出す音楽は、リラックスしたホームコンサートといっても、とてもレベルが高い。曲の途中だろうが自分自身が気になることがあれば、ビルはプレイを止めて若い3人に質問を投げかける。100歳を超えても音楽に対する探究心が高いのには驚かされる。いや、探究心が高く、音楽に本気で向き合っているからこそ、100歳を超えてもプロフェッショナル・ミュージシャンであり続けているのだ。こうしたビルの何気ない日常からも、人として教えられることがたくさんある。
 パットのワイフ、ナンシーが優しい笑顔で4人のプレイに聴き入っているのが印象的なランチ前のひとときだった。


Benny Chong &Byron Yasui Special Interview
ハワイアンミュージックをこよなく愛するベニーとバイロン


 数十年間もプロフェッショナル・ミュージシャンとして活動をしてきたベニーとバイロンだが、実はふたりがデュオを組んだのは、たった5年前の2006年から。ベニーのウクレレとバイロンのベース。ジャズをベースに、スムースでメロディックな彼らの音楽は、第一線級のウクレレ・ジャズ・ミュージックとして、世界中のファンを魅了し続けている。


Benny Chong (ベニー・チャン)
 1943年にホノルルに生まれたベニー。ポルトガルとチャイニーズにルーツを持つ彼が音楽に目覚めたのは、10歳を過ぎた頃。
「僕が子供だった頃、ビーチにたくさんの若者が集まってウクレレを弾いていたんだ。ギターもいたかな? それはそれは素敵なサウンドだったんだけど、音楽のことがさっぱりわからない僕は、ただ遠くから彼らを見ているしかなかったんだ」
 毎日その様子を見ていたベニー少年は、どうしてもウクレレを弾いてみたくなり、ついには母親にねだってウクレレを買ってもらう。
「それからは毎日ビーチに通ったよ。誰にも教わらなかったけど、見よう見真似でコードや弾き方を覚えたね。すべてが新鮮で面白いから、その頃はどんどん覚えていったよ」
 独学でウクレレを自分のものにしていったベニーは、独学だからこそ学べたこともたくさんあるという。彼独自のダイナミックなコードプレイは、ベニーの音楽への情熱が自然と身につけさせたもの。ウクレレの基本を会得したベニーは、やがてその若者たちの輪に入り、徐々に中心的な存在になっていった。
 元来探究心の強い彼は、幅広く音楽に興味があったが、自分の音楽に最も影響を与えたのはジャズだという。ギタープレイヤーとしても活動していた彼が20歳になる頃にはUSエアフォース所属のジャズバンドに入隊し、ジャズをプレイしていた時期が長かった。
 自他ともに認める彼のウクレレスタイルは、彼ならではのハーモニクスなコードプレイ。ウクレレのたった4本の弦を使い、独自のフレットワークで美しい音色を生み出すのが彼のプレイの真骨頂だ。常に音楽の可能性を追求していたベニーは、1970年当初、世の中に登場したばかりのカセットテープにお互いのプレイを録音し、遠方に住むミュージシャンと郵便で音源を交換してはセッションの練習をし、常に能動的に音楽に向き合い、そして努力を重ねてきた。長年ギタリストならびにウクレレプレイヤーとして活動してきたバックボーンが本場ハワイで高く評価され、現在ではジェイク・シマブクロらと並ぶ、ハワイを代表するトップ・ウクレレプレイヤーの一人として、多くの人からリスペクトされている。 
 ベニーに自身のウクレレプレイのコンセプトを尋ねてみた。迷う事なく、彼の口から出た答は“Perfect Harmony”。
「ウクレレ特有のやさしい音色、それを生かした美しいコードプレイを通じ、音楽の素晴らしさや美しさをみんなに伝えたいんだ」
インタビュー中もとても自然なスタイルで、自分の愛する音楽を熱く語るベニー・チャン。 ハワイの豊かな自然と風の中で、美しいハーモニーを奏でながら熟成していくベニーのウクレレサウンドは、これからも私たちオーディエンスを魅了してやまないだろう。


Byron Yasui
(バイロン・ヤスイ)

 日系3世のバイロン・ヤスイ。ベニーと同じくハワイ・ホノルル生まれの彼は、筋金入りの音楽一家に生まれた。サックスプレイヤーの父親はビル・タピアと同世代だという。
「ボクの父親はビルと1歳違いでね、二人は同じバンドでジャズをプレイしていたんだよ」
 父親とビルが近い関係だったことから、バイロンも物心がついた時から、ビルがすぐそばにいたという。ビルが出身地であるハワイとメインランドのハリウッドを行き来するようになっても、その親交は途切れなかった。
「ビルとボクの父がともに過ごした時間はバンドでだけはなかったんだ。日中は同じミュージックショップで働いていたからね」
 そんな環境で育ったバイロンは、幼少期からジャズミュージックの影響を大きく受けている。現在はトップクラスのジャズベース・プレイヤーとして名高いバイロンだが、最初の楽器は12歳の時にはじめたトランペット。ウクレレはその3年後となる9年生(ハイスクール)から始めたという。さらにベースは遅れること数年。しかし音楽に満ち溢れた環境で育ったこともあり、その才能は程なく開花。バイロンはすぐにナイトクラブなどでプレイするようになった。若いバイロンにとって、プロミュージシャンの道は遠くなかったようだ。
 1972年からハワイ大学で音楽の講師を務め、昨年現役を引退するまで、38年間ハワイ大学に席を置いていたために、教授としての彼を慕う人も多い。大学で音楽理論を教えるだけではなく、コンポーザーとしても活躍し、幅広い音楽の知識と、類稀なるセンスに裏打ちされた“演奏できるプロフェッサー”として、世界的にも高い評価を得ている。
 クラシックやジャスが自分が最も愛する音楽のスタイルだ、という彼に「自分自身にとって、音楽とは何か?」という質問をぶつけてみたら、開口一番“Music is Life”と迷いなく答えてくれた。彼はまさに文字通り、音楽人生を歩んできた人。多彩なプレイスタイルは彼の音楽的バックボーンがあってこそ成し得ているもので、体験してきたすべてのことが作り上げているものなのだ。9月に行われたベニーとのライヴで聴かせてくれた包容力のあるバイロンのプレイを思い出すと、彼の言葉が一層理解できる気がした。

Date Sep. 16. 2011
Place Bill's House


line

arrowトップページに戻る

 

©T.KUROSAWA & CO.,LTD All Rights Reserved.