specialカマカ社の人々インタビュー
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「やっぱり最後は自分の手の感覚で確かめたい」

カマカ社の人々をインタビューする連載企画の第一回目。まずはカマカ社の3代目であり現在の製造責任者であるクリス・カマカに登場してもらいましょう。ウクレレと共に暮らした子供時代からカマカ社の過去・現在・未来まで、たっぷりと語ってくれました。カマカが大切に引き継いできた技術と哲学とは――。


CHRIS KAMAKA Profile

1956年10月27日ハワイ・ホノルル生まれ。カマカ社の2代目プロダクション・マネージャー、サミュエル・カマカJr.の息子であり、現在のプロダクション・マネージャー。フレッド・カマカJr.(ビジネス・マネージャー)やケイシー・カマカ(カスタム担当)とともにカマカを背負って立つ3代目。音楽をこよなく愛し、ハワイアンバンド「ホ・オケナ」のメンバーでもある。


ウクレレとの関係


カマカ社2代目サミュエル・カマカJr.(左)と妻(右)、その子供たち。真ん中の男の子がクリス。
 
   
 私は今のカマカ工場がある場所から10分くらい離れた所にあるカピオラニ病院で生まれました。常にウクレレに囲まれている環境で育ち、親戚の集まりなどにはいつも音楽がありました。父(サミュエルJr.)も歌を歌い、ウクレレを弾いてくれましたよ。いつもみんなと楽しくリラックスして育った子供時代でした。週末になるといつも父と工場に行き、掃除などを手伝っていました。手伝いの後でサイミンを食べに連れて行ってもらうのが楽しみだったんです。

 工場でアルバイトを始めたのは1970年代前半、高校生になってからですね。家族流の支払いでしたけど、アルバイト代をもらっていました。セントルイス高校に通っていたのですが、当時は学校の授業料を稼ぐのを助けなくてはなりませんでしたから。私のほかに6人の兄弟姉妹がいたので、当時子供たち全員が学校に通うのは少し大変なことでした。在学中はずっと働いて、高校卒業後はハワイ州立大学に入学してビジネスとアートデザインを専攻しましたが、そのままアルバイトで働いていましたね。賃金はたぶん3〜4ドルとそれほど多くはなかったですが、家族のために働いていました。

 1972年にフレッドおじさん(フレッドSr.)が職場に加わりました。おじが来る前は父がほぼすべての仕事をやっていましたが、おじが秘書から仕事の引き継ぎをして、オフィスワーク全般を受け持つことになったんです。父は書類関係に携わるのが好きではなかったので、フレッドおじさんが戻ってきてとても助かったみたいです。当時ヘッドにティキ(ポリネシア全域で祭られている神様)が付いたコンサートサイズのモデルがありましたが、私はいつもヘッドにティキを付ける作業をしていたことをよく覚えていますよ。



徐々に学んだウクレレ作り

 アルバイトを始めてまずは、とにかくたくさんの社員の手伝いをさせられました。そして彼らそれぞれの技術を少しずつ習得していったんです。そのうえで製作上の細かい点は父から教わりました。基本構造、ブレーシング、トップや箱の鳴りのチューンアップなどは一番肝心なところです。それらを繰り返し作業することによって、どんどんウクレレを作ることに自信が持てるようになったんです。

 大学を卒業した81年からはフルタイムで働き出しました。80年代は一時経済が低迷した期間があり、その時は工場にウクレレが山積みになってあふれていたのを覚えています。従業員の解雇まで話に上がりましたが、父は実行しませんでしたね。しばらくすると少しずつ経済も回復していきました。ウクレレの販売はその後数字が伸び続け、今は生産が需要に追いつかなくなるくらいまでになりました。

 ただ80年代と今は生産体制が違います。当時は一人が1モデルを受け持って製作する方法をとっていました。たとえば一人がソプラノを50本担当し、もう一人がコンサートを50本担当し、もう一人がテナーを30本作る、という体制でした。今は工程ごとに担当を分担して作っています。社員は18から20人ほどで、1日で15本から20本のウクレレを仕上げています。社員数や作っている本数は昔も今もそれほど変わらないかもしれませんが、品質は今の方が良いです。基本の構造は変わりませんが、当然技術力も上がっていますし、今の方が精巧で良い製法で作っているんです。今後工場を広い場所に移転したら1日32本まで生産数を引き上げられるように改善していきたいと思っていますが、ただ数量より品質をより大切にしたいと考えているんです。



カマカのウクレレ作り工程

 ウクレレ作りの作業工程は大まかに分けて九つあります。1.木材加工、2.パーツ製造、3.ベンディング、4.ネックブロックとラインニング、5.トップとバックの接着、6.ネック加工とネック接合、7.フレット打ち込み、8.塗装、9.ブリッジ接着やペグ取り付けなどの最終セットアップです。社員たちはお互いをチェックしあって作業を進め、最終セットアップに入る前にトップチューニングをしています。トップチューニングというのは、ボディをノックしてトップの振動をチェックすることです。父が教えてくれた技術ですが、振動とフィーリングで音の良し悪しがわかるのです。50年間カマカの工場で働いていた最古参の社員だったジョージ・モリタは2008年に亡くなったんですが、彼は耳が聞こえなかったのに、父と同じようにトップチューニングできたのです。今は製作の工程に機械も導入していますが、最後は手作業でチェックしたいんです。最後に私が問題や不具合はないか1本1本検品します。


最終チェックをするクリス。細部に至るまで細かく確認し、ボディを指でノックして振動を確かめる。

 現在は息子のダスティンに仕事の多くを任せています。ヴィンテージ品の修理はすべてダスティンがやっているんです。古いウクレレでも、価値があるものでお客さんが望むなら修理を受け付けていますが、ほんの数人しかリペアを受け持つ担当がいなく、待ち時間がすごく長いです。特に古いものは分解しないといけないので、時間がかかります。現在の待ち時間は、おそらく1年ちょっとくらいだと思います。もちろん私やケイシーも手伝いますが、私たちもそれぞれ忙しいので、申し訳ないのですがみなさんには待っていただいています。ある程度ダスティンに仕事を任せることによって、私は工場全体をチェックすることができるようになりました。

 でもウクレレ製作の仕事に関して父が私に無理強いしなかったので、私もダスティンに無理強いすることはできません。父は自然と私を受け入れてくれました。ダスティンもきっと同じようにだんだん仕事が楽しくなってくるんだと思いますよ。


生産の効率化を図るために

 効率を良くするために、CNC(ネックを加工するルーター)を導入したことは大きかったですね。昔はネックも手作業で作っていましたが、全く同じシェイプに仕上げることはできませんでした。実際私も削っていて、かなりいい線までは行くんですが、完全ではありませんでした。今はCNCによって品質が均一になっています。早くてほぼ完璧ですし、すごく助かっています。

 ネックジョイントのために昔はスプラインという物繋ぎを入れていました。ボディを切り込んで溝を作り、そこに繋ぎを仕込みます。ネックにもスロットがあり、そこを合わせてネックとボディを繋いでいたんです。原理は同じですが、今はボディの溝にすぐはめることができます。これはCNCの導入後に変えた部分で、今のネックジョイントは以前と比べて強度が高くなっています。また楽器の塗装の効率化もリサーチしているところですし、作業の手間が省ける努力は常にしています。


これがCNCルーター。この中にネック用の木材を並べると機械が削り出し、一度に何本ものネックができあがる。

カマカの木材ハワイアンコアについて

 ウクレレ作りに適した木材はほかにもありますが、私たちはコアにこだわっています。なぜなら、コアはとても作業がしやすいのです。見た目もきれいですし、もちろん音が良いし、とても優れた木材なんですね。祖父や父をはじめカマカの人間はコアに特別なこだわりを持っているので、私たちのウクレレはずっとハワイ産のコアで作っています。コアは引き続き使って行きたいと考えており、それは当分問題ないと思います。供給がなくなるまで使い続けることができればと願っています。私たちのコアの選定はとてもシビアで、最上のものだけを使うようにしています。今はネックにはマホガニーを使っていますが、マホガニーは品質が均一なのでネックに非常に適しているからです。ただコアネックの要望があればもちろん作ることは可能ですよ。

 木材を担当しているのはケイシーで、ハワイ島にある仕入れ先といつも連絡を取り合っています。彼らが材の準備ができた時に連絡がきて、その後ケイシーはハワイ島に飛んで行き、チェックして選びます。コア材のストックは5年分の量を保つようにしています。


ミュージシャンという一面

 仕事以外では音楽をやっていて、ホ・オケナというバンドで23年間プロとして活動しています。現在10枚弱のアルバムを出しています。ヘマ・パアというユニットは11年くらいやっているんですが、アルバムを作ったのは1枚だけなので、もう1枚アルバムを作ることができればと考えています。

 私にとって音楽とはリラックスできるかけがえのないものなんです。メンバーそれぞれにスケジュールがありますから、時に演奏する環境を整えることは難しいですけど、みんなで集まることができると、いつも楽しくてリラックスでき、ストレスがなくなりますね。仕事は難しいことがたくさんあるので簡単ではありませんが、楽しんで取り組んでいます。お客さんが楽器を受け取って喜んだ顔を見るのは、自分にとって大きな糧となります。音楽も同じで、聴いた人が楽しんでリラックスするのを見るのが嬉しいです。


ウィリアム・ババ・アリムートとのアコースティック・ユニットHema Pa’a。クリスはアップライト・ベースを演奏している。

あなたにとって良いウクレレが、一番良いウクレレ

 日本のみなさんにはぜひカマカウクレレの品質を知ってほしいです。私たちにとって高い品質を維持することがとても重要です。私の祖父が父に伝えた通り、良い音のウクレレを作り、その品質を維持することが私たちの使命です。特に日本のみなさんは品質の良し悪しに敏感だと思いますから、ぜひ手にとって確かめていただければと思います。

 カマカには素晴らしいスタッフたちがいるので、新しい場所に工場を移してからも万事順調に行くと思います。従業員を新しく増やしたいと思っているので、品質を保ちながら生産量を上げていく予定です。将来が楽しみです。世界のウクレレに対する興味も高まっていますので、特にハワイのメーカーたちは、品質を高く保っていくことを願います。それは業界全体にもいいことですしね。

 カマカウクレレだけが良いウクレレというわけではないし、カマカばかりを押し付けるつもりはありません。自分が好きなウクレレを弾くのが一番。自分とって良いウクレレであることが、ウクレレを楽しむうえで一番大切だということを伝えたいです。

 カマカがこれまで長く歩んで来れたのは、ウクレレという楽器を愛する人たちがいたからです。その人たちに少しでも良い音で楽しんでもらい満足してもらえるよう技術を磨いてきました。ウクレレを弾く人がいなくなったら技術を磨くこともすべて無意味になります。だから私たちはカマカを弾いてもらうことはもちろんですが、その前にウクレレの楽しさを多くの人に知ってもらうことが、カマカを存続させていくうえでも一番重要なことなのです。ウクレレを楽しむ人たちのために、少しでも長く、少しでも良いウクレレを作っていくことが、カマカがやるべきことだと考えています。

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