「アイディアや誰かの要望が、
その通りになるのが面白い」
革新的なデザインでカマカのカスタムモデルを作り続けているのは、クリスの弟、ケイシー・カマカ。ジェイク・シマブクロやブライアン・トレンティーノをはじめとするアーティストモデルも手掛け、アーティストたちからの信頼も厚い。本職であるパイロットの一方で、ウクレレのルシアーとしても活躍するケイシーの製作哲学とは――。
CASEY KAMAKA Profile
1963年9月26日ハワイ・ホノルル生まれ。カマカ社の2代目プロダクション・マネージャー、サミュエル・カマカJr.の息子であり、クリス・カマカの弟。現役パイロットとして活躍する一方、現在カスタム部門の責任者であり、アーティスト・リレーションも担当している。
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自分用のウクレレを作ることから始まった
――ウクレレを作り始めたのはいつ頃ですか?
「子供の頃は兄弟全員が毎週末に工場に行って遊んでいましたが、働き始めたのは13〜14歳だったと思います。夏休みの間や休みの日に働くようになったのです。ペグをつけたり、ヘッドにロゴを貼ったり、弦を張ったりすることが当時の仕事でしたね。子供たちの賃金は1時間で25セントでした。バスケットボールや靴など、ほしいものがあれば工場に働きに来ていました(笑)。お駄賃みたいなものですね。でも楽しい思い出です。ほかの従業員と同じように小切手を受け取っていたので、それがすごく嬉しかったです。高校生になるとアルバイトとしての通常の賃金になっていて、働いた分だけ給料をもらっていました。高校を卒業してすぐの1、2年は、フルタイムで働き、夜間に学校に通っていました。すぐに大学へは行かず、数年働いてから進学しました」
カスタムモデルのブレイシングを削って厚さを調整するケイシー。 |
――それが基本的な作業や、カスタム技術を身につけた時期ですか?
「そうですね、父親に基本的な製作技術を教わりながら、カスタムはある程度独学で勉強しました。私はたぶん初めから通常のプロダクションラインより、カスタムの方が好きだったんです。だからいつも遅くまで工場に残って、カスタムの技術を勉強していました。それに通常の仕事が終わってから、いつも自分のためのウクレレを作っていました。それが始まりです。自分用に作って、そこからカスタム技術を学んでいきました。それが1本、また1本と増えていったのです。私が最初に作った1本は友達がまだ持っていますよ。100ドルかそこらで友達にあげたんです(笑)。15歳くらいの頃だと思いますが、本当に熱中して作っていましたね。木工細工から始まり、緻密な作業が好きなんです。そういう作業があると自分にやらせてとよく父に頼んでいましたが、十分に上手くなるまではやらせてもらえませんでした。だから自分用のウクレレ作りで練習したんです。ジェシー(マカイナイ・ウクレレのルシアー)は私が若い頃にカマカ社で働いていたのですが、木工細工がとても上手でいろいろなことを手伝ってくれました。クリス(兄)と私は7歳違いですが、彼からも多くを学びました」
――あなたが正式にカスタム担当になったのはいつですか?
「高校を卒業してすぐです。常に工場にいたので、お客様から特別なモデルの依頼があった時は自分にやらせてほしいと言って、少しずつ始めていきました。70年代と80年代初頭はジョージ・モリタがカスタム担当でした。私は1981年に高校を卒業して、1982年から飛行機の操縦を学び始めたので、工場の仕事と学校を両立させていました」
――カスタムの技術は具体的にどうやって勉強したんですか?
「たとえばブレイシングなど、ナイロン弦の楽器を作る基本原理と必要な技術とは似ているので、ギターメーカーの本や記事を参考にすることもあります。また、さまざまなギターメーカーのワークショップに参加したり、彼らがなぜそのブレイシングを採用しているのかなどを調べることもあります。それを自分の作業に組み込んでみるのです」
――どんなギターメーカーのワークショップに参加したんですか?
「90年代前半だったと思いますが、チャールズ・フォックスやジェフ・エリオット、ジョン・ギルバートなどのルシアーたちです。1〜2週間彼らのワークショップに参加して学び、彼らがギターに対して行うアイディアをウクレレに取り入れました。また工場の一部をエリック・キングバーグというギタールシアーに貸していたこともあったので、彼がギターを作るのをそばでよく見ていました」
カスタムライン独自のカッタウェイ・ボディのジグ。 |
――あなたは現役のパイロットですが、パイロットとウクレレ製作をどうやって両立させているんですか?
「1988年からアロハ・エアラインに勤めましたが、パイロットの仕事で一番気に入っているのは、仕事時間が限られていることです。実際に操縦する日数は月の半分です。私が操縦していたハワイ州内の便は半日しか拘束されませんので、自由な時間が多くあるんです。だから操縦をしていない時は工場に来ていました。(注:アロハ・エアラインはこの後倒産。ケイシーは現在ハワイアン・エアラインのパイロットとして活躍中)」
――今は工場ではカスタムの楽器のみの製作をやっているのですか?
「カスタムだけです。カスタムの生産ラインも独自の作業効率化を図っています。組み立てなどの原理や技術は通常の生産ラインと同じですが、たとえばサイドの材の曲げ方などはカスタムショップなりに発展させています。アーティストのカスタムモデルを作るときは型から作り始め、通常の生産ラインと同じ技術を駆使しながら、別作業でやっています」
――ほかにカスタムを担当している人はいますか?
「クリスの息子、ダスティンも担当しています。ダスティンは修理を受け持ちつつ、私は彼にカスタムに関することを教えています。彼はすごく上手になってきていますよ」
――ダスティンからはどんな質問を受けることが多いですか?
「『この個体はどこまで削ったらいいのか?』とよく聞かれます。すべての楽器の安定感はそれぞれ違い、どこまで削っても大丈夫なのかは経験によってわかることなんです。その材が手の中でどれくらいの堅さに感じられるかによります。私も昔はよく同じ質問を父にしていました。ダスティンも技術は習得しているので、ベストを尽くすために、その技術を十分に利用することができるかどうかにかかっています」
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クリスの息子であり、カマカ社の4代目ダスティン(右)。ダスティンはケイシーのアシストをしながら技術を習得している。
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カスタムはアートワーク
――ウクレレとギターの構造の違いは?
「今はそれほど違いはありません。ネックジョイントやブレイシングもほとんど同じと言えます。ボディが大きくても小さくても、材が共鳴しやすい構造であることと、耐久性を維持できる構造であることが最低の条件です。ブレイシングの幅や長さなどは、そのボディの大きさによって異なるだけです。ウクレレだから特別こうしている、というような製法はありません」
――音に関しては、現在カマカ社で作っているウクレレと昔のスパニッシュスタイルはどう違うと思いますか?
「現在のようにネックとボディを別々に作る方が簡単です。父がスパニッシュスタイルを始めて、当時はその方が効率がいいと考えていたので、すべてのウクレレをスパニッシュスタイルで作っていました。でも私たちは今の作り方の方がいいと思っていますし、音に関しても大きな違いはないと思います」
――ルシアーの視点から、古いカマカはどう思いますか?
「その昔どうやってウクレレを作っていたかを想像するとよく感心しますし、誇りに思います。今私たちが使っている便利な機械はありませんでしたから。祖父が作った古いウクレレはその大半が手で作られています。木材を手でカットして、手で削っています。当時その手作業がウクレレの限界を広げたのです。と言うのも、彼らが手作業で作ったウクレレはすべてが薄く作られているのですが、私は怖くてそこまで薄くすることができないほどです。修理の依頼でいまだに目にしますが、私より年上の楽器なのにいまだに弾くことができて、いい音がします。だから楽器は弾き込まれると音が良くなると信じています。それを見越して現在のウクレレ製作のスタイルがあるんです」
カマカを愛用するブライアン・トレンティーノ(左)と。アーティストの求める音を奏でるウクレレを作ることは、ケイシーの仕事であり、最大の喜びでもある。 |
――アーティストモデルはどのように作っているんですか?
「ミュージシャンのカスタムモデルを作るときは、その楽器の能力が最大限引き出せるよう、すべてにとても精度の高い調整を施しています。木材や素材はカスタマイズし、トップ材は一定の精度を保ち薄くしています。通常の生産ラインでは一定の寸法で作って、後から微調整するのですが、カスタムモデルははじめから調整して作っています。それを通常の生産ラインでやるのは多大な時間とコストがかかるのでとても難しいです」
――たとえば「深くて豊かなローGの音」を希望されたらそういうウクレレはできますか?
「はい。私もそういうウクレレが好きですが、私の知る限りではスプルースかシダーのトップがいいと思います。低音側のブレイシングを少しオープンにすることもできます。ただ、それをやってしまうとその楽器は常にローGという“リミット”ができてしまうことになりますけどね。誰かの要望やアイディアが実際にその通りになるのを見るのは面白いです」
――じゃあ1920年のパイナップルの完璧なレプリカは?
「今は時間的な問題でできませんが、たぶん将来はできるようになると思います。1920年とまったく同じ見た目というのなら、それは面白いプロジェクトですね。ただ70年前のウクレレとまったく同じ音を再現してほしいなどとよく言われますが、それはできません。音は完璧に同じになりません。個体差があって、どの楽器も音は違うのです」
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100本限定で製作したジェイク・シマブクロ・シグネイチャー・モデル。ヘッドがスロッテッドでなかったりと、ジェイク本人所有のモデルとは差別化されている。 |
――通常のコアとフィギュアドコア(カーリーコア)の違いは何ですか?
「100エーカー中、フィギュアドコアが取れるのはおそらく10%くらいで、希少性がその個性の一部となっています。すべての木がカールしているわけではなく、偶然できるものなのです。木の先天的なものにもよりますし、ストレスから根っこ、こぶ、ふしなど木の異なった場所がカールするんです。音に関して言えば、木の違いというのはとてもドラマチックです。カマカで作っているウクレレも、カーリーもあればレギュラーのコアもあります。強度や安定感はそれぞれ違います。カーリーは木目が波打っているので、強度はありますが安定感はそれほどないはずなんです。でも時にはとてもいいカーリーコアで、スタンダードグレインや、セレクトグレインと同じくらい安定しているものもあります。だからルシアーの世界では、カールの強い木材をトップに使うと強い音にならないと言われていますが、私たちは使いますし、ただ通常より慎重な注意が必要なだけだと思っています」
――日本のカマカ・ファンへメッセージをお願いします。
「レギュラーモデルもカスタムモデル含めて、私たちはとても良い楽器を作っていると自負しています。おそらく私の知る限り、カマカウクレレは一番良いウクレレではないかと誇りを持っています。そしてカスタムワークはアートだとも思っています。お客様が求めるものを作るのが大前提ですが、その中に職人として私の名前をサインすることができるくらい自信のあるものに仕上げたいと思ってやっています。私の中に『こんなウクレレを作りたい』という思いがいつもあるからです」
インタビューを終えて
ケイシーはこれまでのカマカのスタイルにとらわれることなく革新的なデザインでさまざまなアーティストの要望に応えながらウクレレ製作を続けている。初代から受け継がれた伝統技術を重んじながらも、新しいカマカウクレレを生み出すことを常に考えているのだ。ギターと同じようにウクレレもさまざまな音楽ジャンルや奏法に対応できるよう、ボディサイズや形が変化するのは当たり前と言える。カッタウエイのウクレレや、スプルース材を使用したりなど、現在のウクレレニーズに対応するためとして考えれば当然のこと。「HP-1や HF-1だけがカマカではない」ということは将来のカマカにとってとても重要なことなのだ。新しい改革は伝統技術を重んじてこそ行われるべきこと。
常にシャイで謙虚なケイシーは、どんなアーティストにその技術を褒められても、「常に自分はベストを尽くしているだけ、最高のものを作っているという誇りがあるだけ」と言う。そのウクレレが最高かどうか、決めるのはファンのひとたち。ファンの人々にとって良いウクレレが一番良いウクレレであるのは、変わらないことだから。
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