人間の暮らしの原点にある楽器
――もともとダイビングやサーフィン雑誌の編集をしていた山本さんですから、南国には何度も行っていますよね?
「僕は太平洋に浮かぶ島が好きで、ハワイはもちろん、タヒチ、フィジー、トンガ、サモア、ニューカレドニア、パプアニューギニア、バリ、パラオ、グアム、ヤップ、日本の奄美大島や屋久島、種子島、沖縄と、さまざまな島に行きました。まあ、たいがい仕事がらみで行っているんですが、日本やハワイを除けば、ほぼ言葉の通じない現地の人と一緒に10日間ぐらい暮らすわけです」
山本さんが編集した数々の本の一部。手前からフリーペーパー『everblue』、ロングボード雑誌『NALU』、『鬱を吹き飛ばす 5つのエクササイズ』(すべてエイ出版社刊)。
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――そこでどんなことを感じたんですか?
「僕は今、地球環境の未来を考えるフリーマガジンの製作をしていますけど、編集コンセプトの源になっているのは、南の島での生活なんです。まあ過去に、地球温暖化のことも、エネルギー問題も、動植物の絶滅問題も、さまざまな問題をとりあげてきましたが、本当に伝えたいことは、人間らしい生活の原点を思い出せないだろうか? ということなんです。南の島に行って感じるのは、ああ、ここには人間の暮らしの原点があるんじゃないかってことなんです。シンプルな暮らし方ですね」
――具体的にはどんな暮らしですか?
「簡単に言うと、太陽が昇るとともに目覚めて、朝ごはんにはとれたてのフルーツなんかを食べる。午前中の涼しいうちに働いて、途中でコーヒーを飲んだりして、お昼にごはんを食べて、木陰で昼寝して、また涼しくなる夕方にちょっと働く。日が沈んだら火を焚いて、それを囲みながらお酒を飲んで、みんなで歌を歌う。そして疲れたら眠る。そんな暮らしです」
――プリミティブというか、生きものの基本的な生活ですね。
「そんな生活に必要なものって、何でしょう? 雨露をしのげる家はもちろんですよね。次に服は大切です。靴や、帽子、それの代わりになるものも大事です。飲み物を貯めておいたり、入れたりする器もいりますね。火をおこすもの、これはライターがあれば便利です。それにナイフは必需品です。釣竿などの釣り道具や、編み物の道具なんかも必需品ですね。衣食住とはよく言ったものですよね。最後はいかに水と食べ物を入手するか、これが人間の原点だと思います。当たり前のことなんですけど、南の島に行くと、こんなことを再確認してしまうんです。いやあ、大げさな話をしているようですけど、一度、フィジーで大型の嵐に遭い、4〜5日閉じ込められたことがあるんです。島にひとつしかないホテルに泊まっていて、島民はみんなホテルのスタッフ。船で出られないから、このまま嵐が続けば食料が足りなくなる。でもそんなこと、日常茶飯事なんです。そのときはまさに、人に必要なものは何だろうって、部屋でぼんやり考えていました」
――大変な状況ですよね。都会で暮らす人間にはなかなか経験できないですよ。
「でも話のポイントはここからです。このあとに続くものが、人の心を豊かにするもの、人生を楽しくするものなんです。日本だったら、テレビとか、ケータイ、パソコン、クルマ、ゲームと続くでしょうね。はっきり言って、もう全然だめです(笑)。南の島では、真っ先に歌を歌うための楽器、これはウクレレだったり太鼓だったり、笛のようなものもありましたが、これらがくるんです。日本の沖縄や奄美大島だと三線なんかですよね。歌を歌うための楽器が、どの島にも必ずある。僕たちのようにゲストが島に来るとみんなで歓迎の歌を歌ってくれたりする。素晴らしいですよね。ちなみの楽器の次には、アクセサリーも大切にされている。アクセサリーといっても貴金属だけではなくて、木製や貝で作られたものであったり、生花で作られたレイであったりします。これらも必需品で、美しく着飾る意味もあるんですが、宗教的な魔よけの意味があったりもします。お守り代わりのものなんですよ」
――ティーリーフなんかは昔から魔よけとして使われていて、家の周りに植えられたり、厄除けとして車に吊るされたりもしますよね。
「音楽の話もしたいのですが(笑)、先に宗教観の話をしますね。後につながる話なので。太平洋に浮かぶ島というのは、世界が大航海時代に入る18世紀まで、西洋などの影響をまったく受けず、島ごとに独特の文化が受け継がれていったわけですよね。ところが、人間の考えることは似ていることが多いなあと思うんですが、たいていの島で、魔よけの考え方があり、八百万の神というような考え方があります。大自然のさまざまなものに神さまの魂が宿っている。そんなふうに考える。ある時期まで、どうしてなんだろうと思っていたんですが、フィジーで嵐にあったときに思い当たることを言われたんです。ホテルスタッフの女性、もちろん、フィジアンのきれいな女性ですが、嵐の過ぎ去った翌日の朝、ブラー(フィジーの挨拶の言葉)と言って部屋に入ってきて、ハイビスカスだったと思うんですが、花を一輪摘んできてくれたんです。そのときに、『この花を身に付けていれば、あなた、この島で、災いから身を守れますよ』と、”You have not bad lack.”って言っていたと思うんですが、その理由を訊くと、『この花はあんな嵐が通り過ぎても、今朝、ちゃんと咲いていました』って言うんです」
――つまり、それだけ生命力が強いものには神さまの魂が宿っているから、あなたを助けてくれますよ、という意味だったんですね。
「そうです。そのフィジーの旅の前に、タヒチで可愛い女の子が耳に花を挿すのは、おばあさんが孫娘に『大自然の魔物が、いけにえにこの可愛い孫娘を連れ去らないように守ってください』と願って挿すんだと教わりました。右耳に挿したら恋人募集中とか、そんな軽い話じゃないんです(笑)。花には神さまの魂が宿っているので、孫娘を災いから守ってくれると信じられているんです。フィジーで、タヒチで教わった花の“いわれ”の意味がやっとわかりました。花が美しいから神さまの魂が宿るんじゃなくて、悪魔の仕業だと考えられる嵐がきても、花の生命力は強くて、それを乗り越えてなお咲いているから、神さまの魂が宿っている。そんなふうに考えられていたんだと」
山本さんがカタログ誌の編集を担当しているハワイアン・ジュエリー・メーカー、ワイレアのバングル。ホヌやナルー(波)の模様が彫られている。 |
――なるほど。嵐にも負けない生命力ですか。
「南の島に共通して起こること、これは嵐という天変地異です。これはどうしようもなく年に何回もやってくる。そのたびに家を飛ばされ、生活道具がなくなる。だから、壊れやすい家をまたすぐに作り直せばいいと考えるんですね。そして物を所有しようという考えがあまりない。土地も誰のものでもないと考える。大陸から遠く離れているので、人口も爆発的に増えたりしないから、土地を所有しようと思わないみたいなんです。日本と違うのはここぐらいで、日本は大陸に近かった(もとは地続きだった)から、人口が爆発的に増えて、土地の所有という考えが生まれましたが、嵐の通り道であることにかわりはなく、日本人も昔から、すさまじい嵐の後でもしっかり立っている森の木々なんかを見て、神が宿っていると思ったんじゃないでしょうか。こう考えると、日本も太平洋に浮かぶ島々のひとつなのだと本当に感じます。余談ですけど、僕が仕事をお手伝いしているハワイアンジュエリーも、ハワイで神聖だと考えられているプルメリアやマイレリーフが彫られ、それが我が身や大切な人を災いから守るお守りになると考えられているんですよ」
南の島の人たちが、歌わなければならない理由
――話を戻しますが、衣食住の次にくるもの、それが音楽であり、楽器なのだということ。これはなぜなんでしょう?
「僕はザ・バンドというグループが大好きで、彼らはボブ・ディランのバックを務めたバンドでもあるんですが、このザ・バンドを巡って、コピーライターの糸井重里さんと、ドラマーの沼澤尚さんが対談したホームページがあり、興味深い記述がひとつあります。『太鼓は通信からはじまった。遠くの人に感情を伝えることが起源の楽器。それを理解すると、音楽を聴くことがもっと楽しくなる』という話。ザ・バンドの音楽のリズムについての話の中でこのエピソードが出てくるんですが、僕も南の島でこれと同じ話を聞いたことがあるんです。トンガかサモアだったと思うんですが、隣の島に連絡をしようとした際、島だと風がいつも強くて狼煙ではわからないけど、太鼓で合図を送ると通信ができる、と聞きました。太鼓のルーツは通信手段だったんですね」
編集を担当しているワイレアのカタログ誌『MALULANI』No.5の表紙はサミュエル・カマカJr.。誌面ではカマカ・ファミリー&ファクトリーが紹介されている。 |
――確かに音というのは必要な音量を満たせば確実に届きますよね。
「で、何が言いたいかというと、南の島の楽器には理由があるということなんです。ハワイのフラはタヒチアンアンダンス(ポリネシアンダンス)がルーツですが、いずれも物語を手話のように表現して踊りますよね。最初、どうしてそういうことをするのかわからなかったんですが、フランスのブルターニュ地方に取材に行ったときに、ハタとわかったことがあるんです。フランスに限る話ではないのですが、ヨーロッパの教会の窓はステンドグラスになっていて、絵が描いてあります。ブルターニュに行くまで、美術的な価値というか、アーティスティックな装飾の意味で絵が描かれているのだろうと思っていたんです。でも、そうじゃなかった。聖書の内容が絵にして描かれているんです。ブルターニュはケルト文化といって、中世でも対岸のイギリス方面の文化が色濃く残り、以前は南欧系の言葉が通じにくく、また文字の読めない農民たちが多かったため、聖書の内容を伝えるために、ステンドグラスに聖書の物語の絵を描いていたというのです。話はハワイに戻りますが、ハワイの言葉は文字がなかったんです。つまり後世に伝えたい言葉を、文字で残す術がなかった。特に宗教観のようなものを文字にして残す術を知らなかったんです。ああ、そうか、だからフラにして、踊りで伝えたいことを後世に残そうとしたんだ、とわかったわけです。ちなみに19世紀に白人がハワイにやってきて、キリスト教を広めようとしたとき、ハワイの宗教観が謳われるフラを宣教師が禁止するわけです。カラカウア王はそのあたりのことをわかったので、再び解禁するわけです。それで、僕はそのとき同時に、ハワイアンや南の島の人たちが、歌を歌わなければならない理由にも気づきました。文字がないから、歌にして歌ったんですよね。伝えたい言葉に音階をつけて歌えば、印象に残りやすくて、また覚えやすくて、後々に伝えやすくなる。ホイットマンの詩は素晴らしいですけど、僕はいま覚えていませんよ。でもジョン・レノンのイマジンは覚えている。歌になっているからなんだと思います」
――言葉をメロディに乗せることで、記憶に残りますもんね。それがハワイやポリネシアの音楽のルーツなんですね。
「歌って素晴らしい、音楽って素晴らしい、演奏して歌って踊ることは、ものすごく素晴らしいなと思いました。西洋音楽のルーツは、今となっては僕もわかりませんが、少なくとも南の島の音楽には、こんなルーツがある。文字がなかったからこそ、歌わなければならなかった! 素晴らしいことだと思います。あなたのことが好きです。大好きです。愛しています。人が伝えたいと思う最たる気持ちって、そういうことですよね。文字を知らないから、ラブソングにして歌ったなんてカッコいいですよ。歌にラブソングが多い理由もそれなんでしょうね」
――その南の島の楽器の中で、特にウクレレがこんなにポピュラーになったのはなぜでしょうね?
「太鼓や笛とは異なり、音階を出せる楽器。これで飛躍的に南の島の音楽は進化したんだと思います。木管楽器なら音階も出せたでしょうし、もちろんギターでも、あるいはギターに近い独特の發弦楽器でもよかったんだろうと思いますが、南の島でのポイントは屋外で弾けることだったんだろうと思います。そして持ち運びがしやすいこと。みんなで焚き火を囲んで踊りながら歌える楽器。そこにウクレレは絶妙にマッチした。どうあれ、やはり弦が6本より4本の方が覚えやすいし、弾きやすい。最高の楽器だなあと思います。ハワイのウクレレはコアの木で作られるのが最高だとされていますよね。コアウッドは、その昔、ハワイの王族のみに伐採が許されていて、それこそ、神の宿る木だったと言われています。だからウクレレは神さまの魂が宿る楽器なのだとハワイアンに聞いたことがあります」
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