Vol.2:
ウクレレは最高のリズム楽器。
カマカの検品をしていた!?
――カマカウクレレが誕生した頃のことについて覚えていますか?
ビル 「1926年にパワア・ジャンクションというところでサミュエル・カマカと出会って、翌年にはカマカウクレレの検品をしていたんだ。当時私はナイトクラブで夜12時まで演奏をしていたから、夜中1時にカマカの工場へ行って検品をした。自分では楽器の修理はできないが、音はわかる。自分で弾いてみて、弦高が高いとか弾きにくいとか、メモして置いておくんだ。朝にサミュエル・カマカが工場にやってきてフレットや弦高を直す。彼は直ったものだけを売りに出し、直らないものは壊していた。誰かにあげたりせずに、商品にならなかった物はすべて壊していたんだよ。私は約10年間検品の仕事を続けたが、その後メトロノーム・ミュージックという楽器屋のジョン・ライという男がカマカ工場を使ってカライウクレレを作っていたこともあったね」
関口 「サミュエル・カマカはどんな人でした?」
ビル 「とてもいい人で、友達の多い人だったね。パイナップルウクレレを見せて『どうだ?』と聞くので、『いいね』と答えたら、そのままくれたことがあったな」
――なぜカマカウクレレの検品をすることになったんですか?
ビル 「私がプナホウというところに住んでいた時にウクレレ職人がいるという話を聴いてカマカ工場を訪れたのが一番初め。サミュエルはすごくきれいなインレイ入りのウクレレを持っていた。カマカではなくてリーガルだったけどね。それを弾いたら喜んでくれて、そのままくれたことがきっかけで仲良くなり、ちょくちょく遊びに行くようになったんだ。よく彼がウクレレを作るのを見に行っていたよ。ウクレレ作りを見ていたら『検品をやってみないか?』と誘われて始めたんだ」
関口 「パワア・ジャンクションというのは現在のどのあたりですか?」
ビル 「キング・ストリートとアレキサンダー・ストリートが交わるところだよ」
ビルのパワーの源とは
――ビルさんにとってウクレレとは?
ビル 「正しく弾けば素晴らしいリズム楽器だと思っている。若い頃はそうは思っていなかったんだけど、指に優しいし、伴奏に最適だね。ヴォーカルと合わせることもできるし、ソロでもいい。小さくて持ち運びも便利だから、中にはおもちゃのように扱って弾く人もいるけど、おもちゃではない。これは楽器だよ。しっかりコードを勉強して弾けば、こんなに素晴らしい楽器はないよ」
と「Ukulele Man」を弾いて歌うビル♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪
――ビルさんから見て関口さんはどんな人ですか? 関口さんはハワイにウクレレ・ミュージアムの建設を目指すほどウクレレを愛しているんです。
ビル 「ハワイのウクレレ・ミュージアムはとても素晴らしいことだし、ぜひ実現してもらいたいね。今こうして話をしていても、関口さんが素晴らしい人物であることはすごく伝わってくるんだ。だからハワイのミュージアムに限らず、僕にできることがあったら協力したいし、関口さんと出会えたのはすごく嬉しいことだね」
関口 「僕はビルさんと会ってもっと勉強したいと思いました。僕はジャズは弾けないんですが、ジャズは素晴らしい音楽だと実感したし、できれば僕も100歳までウクレレを弾きたいと思います」
――101歳にして多くの人とセッションして音楽を続けているそのパワーの源は?
古いカタログを見ながら楽しそうにウクレレ談義をする二人。 |
ビル 「元気の源は正直なところ私にもよくわからない。でも私の母は91歳まで生きたし、頭もしっかりしていて歯も丈夫だった。最後まで医者にかからなかったんだ。父はタバコも酒も大好きだったが95歳まで生きた。ともに長生きの家系なんだよ。私も87歳までタバコを吸っていたし、若い頃はバンド活動で食生活は不規則だった。ただ母はすごく食事に気を使う人で、いつも油は少なく野菜の多い食事をきちんと作り、規則正しく食べていた。その食生活がひとつあるかとは思うね。それに私は87歳まで毎朝6マイル歩いて30分運動し、その後10マイル自転車に乗っていた。90歳の頃はペンキ塗りをやっていて近所の家もはしごひとつで塗っていたんだよ。だから規則正しい食生活と運動が元気の秘訣かもしれないね。あとはドラッグをやらないこと。私はたくさんのミュージシャンがドラッグでダメになるのを見てきた。私も人生で一度だけルイ・アームストロングとやったことがあるけど、そのときだけだ。全然よくなかったしね……。この世界にはドラッグよりいいことがたくさんあるんだよ」
関口 「音楽をやり続けるパワーはどこから?」
ビル 「音楽をやり続けるパワーの源は……美しい女性とウクレレだね(笑)」
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