Vol.1 吉田拓郎に憧れて始めた弾き語り
心の琴線に触れた音楽
――高校時代に吉田拓郎さんのファンでフォークソング部に入ったそうですが、つじさんの年代の女性では珍しいですよね? それまで拓郎さん以外にどんな音楽を聴いてきたんですか?
「スピッツとかザ・ブームとか、Jポップを聴いていたんですけど、高校生の時に拓郎さんの『結婚しようよ』の中国語バージョンが烏龍茶のCMに使われていたんです。その曲をすごく好きになったことがきっかけで拓郎さんの音楽を聴きはじめ、自分でも弾き語りがしたいと思うようになったんです」
――これまで一番影響を受けたミュージシャンは誰ですか?
「スピッツと吉田拓郎さんです。スピッツは中学時代から、拓郎さんは高校時代から、そして大学時代に好きになったはっぴいえんどの影響も大きいです」
――はっぴいえんどにしても、つじさんと同じ年代の女性たちは知らない人の方が多いでしょう? どういうところがつじさんの心の琴線に触れたんですか?
「スピッツは言葉の世界とメロディの透明感ですね。美術の高校に通っていたんですけど、午後はすべて絵の実習という学校だったんです。そんな多感な学生時代によく家で絵を描きながらスピッツを聴いていました。その幻想的な世界に影響を受けながら絵を描いていたんです。吉田拓郎さんの曲は、たとえば『結婚しようよ』にしても『加川良の手紙』にしても、60年代の可愛らしい恋人同士の絵が浮かぶんです。そこから入って、だんだん拓郎さんの“こう生きるべきだ”みたいな精神性の深さが自分の心に響いてきたんですよね。はっぴいえんどはちょっと大人っぽい“僕と君の世界”的なものがあって、かっこいいなぁ、と。当時サニーデイ・サービスがすごく人気が出て、そこから大瀧詠一さんとか、あのあたりの音楽の昔のアルバムがQ盤(J-POPの定番アルバムを廉価で提供するシリーズ)でたくさん出回っていたので、私のまわりではちょっとしたブームだったんです。すごく繊細でかっこよくて、いい音楽だなぁと思って聴いていました。歌詞とかメロディの持っていき方とかにかなり影響を受けましたね」
――フォークソング部の人々は音楽の好みも似ていて、影響を受け合ったりしていたんですか?
「サークルはいちおう“フォークソング部”という名前でしたけど、ギターポップとかハードロックをやっている先輩方が多かったので、音楽的にはわりと孤立してました(笑)。でも大学1年生の時に『うららか』というバンドを組んで、京都のライヴハウスで活動をするようになってから、そこで知り合った人たちは音楽の好みが近い人が多かったので、バンド友達から情報を得ることが多かったですね」
ウクレレと歌と、つじあやの
――ウクレレを弾きはじめたのはいつでした?
「高校2年生の時です。拓郎さんのように、最初はギターを弾きたかったんです。母が若いころにブームに乗って買ったクラシックギターが家にあったので、それを引っ張り出して弾いてみたんですけど、手が小さくて全然ダメだったんです。でもウクレレなら弾けるかもしれないと思って、タウンページで調べて楽器屋さんに問い合わせたんです」
――最初のウクレレを手に入れてからどんなふうに練習してきたんですか?
「最初は教本を買って1ページずつ毎日ひとりで練習していましたね。その教本には『埴生(はにゅう)の宿』とか『きよしこの夜』とか、わりと弾きやすい曲がたくさん載っていたんです。その本を1冊弾き終わるころになってようやく『あぁ、コードってこんな感じかなぁ』とわかりかけて、スピッツや拓郎さんの曲もなんとか弾けるようになりました。しばらくはとにかくウクレレで弾き語りをするということしか考えていませんでしたけど、大きな変化としては、大学生になってオリジナルの歌を歌いたいと思い始め、なんとか1年生の終わりくらいから自分の作品を発表できるようになったんです」
――デビューすることになった経緯は?
「京都のライヴハウスで演奏するようになって、知り合いのDJから東京にあるインディーズレーベルの方を紹介していただいたんです。それでインディーズ盤を出して、それが縁でメジャーデビューが決まったんです」
――一見難なく順調にきたように聞こえますけど、自分のスタイルや自分の音楽というものをどう探してきたんですか?
「ウクレレに関しては常に“どうやってウクレレと歌とつじあやのが一緒にやっていくべきなのか”を探ってきました。最初は弾き語りで、とにかく自分がコードを弾いて歌うということが基本だったので、ウクレレはどんなときでも自分に寄り添ってくれるものだと考えていたんです。でもデビューしていろんな曲をレコーディングしていく過程で、どうやら単純に自分が毎回ウクレレを弾いて、どの曲にもウクレレが登場するというのが、なんか違うような気がしたんです。だからウクレレが登場しない楽曲も生まれ、ない方がよければなくていいと自分で納得していたんです。でもデビューして2年後くらいに、もっと違う、より良いスタイルがあるんじゃないかと思いはじめました。それからはスタジオで曲を作る時はウクレレが楽曲に対してどんな位置にいるかということを常に考えていて、楽曲にとってもウクレレにとってもいい登場の仕方をさせたいと思っています。必ずしも弾き語りである必要はないし、たまにソロを弾いたり、ずっと後ろでアルペジオを弾いてみたり、ウクレレなのかよくわからないけど気持ちのいい音が聞こえるとか、もっと音作りを丁寧にやろうと考えるようになりました。今ようやくそれがいい形になってきていて、ウクレレといい付き合い方ができるようになったと思います。プロデューサーの方にも『こういうウクレレの入れ方はどうですか?』と提案できるようになったし、自分でプロデュースするときはやっぱりウクレレをどう使うかを先に決めて作ります。普通に弾き語るところじゃない付き合いは、レコーディングを重ねる過程で生まれた関係ですね」
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