Vol.1:
ルーツを求め、深みにハマッた。
辿り着いたルーツ・ミュージック
――松井さんはさまざまな楽器を演奏し、戦前の音楽を忠実に再現していらっしゃいますが、Sweet Hollywaiiansのバンドのコンセプトは何ですか?
「1920~30年代のミュージシャンや音楽が好きなので、その時代の音を再現したいんです。普通アナログと言えば33回転のLPじゃないですか。でもSPという78回転の、虫の体液等で作られている盤のレコードの時代の音楽が好きなんです。戦前のアコースティックな音楽なので、もちろんマルチトラックはない時代ですから、一発録りしかできないんですよ。だから僕らも"一発録りでできること"がコンセプトというか、基本です。
当時のミュージシャンはたいていいろんな楽器を弾けるんです。弦楽器のミュージシャンはたくさんの弦楽器を、管楽器のミュージシャンはサックスやフルートなど普通にいろんな管楽器を弾ける。すごい人だとビブラフォンとバスサックスを両方弾くとか、すごく幅が広いんです。僕らはもともとそういう人たちに憧れていたんで、ウクレレ、ギター、マンドリン、バンジョー、スティールギターとかいろんな楽器を弾くんですけど、オーバーダブをしないことがルールなんです。だから曲中に楽器を持ち替えるし、(楽器ごとに)頭を切り替えて録音していくんです。今やオーバーダブは当たり前で、間違えたら録り直して、切ったり貼ったりしていますよね。それをしないことだけがルールで、あとは好きなようにやっています。録音機材もハイファイなコンデンサーマイクとかは敢えて使いません。ノイズも乗るし、外の音とかめっちゃ入るんで……。わざと音質を落とすような録音をしたりしています。最近さらに30~40年代のワイヤーレコーダーも買いました。
僕らはホンマ、自己満足でやっているんです。もし、たとえば1928年に僕らのレコードが出たら、当時のミュージシャンたちに影響を与えられるくらいの演奏がしたい。それだけなんです。だからお客さんは、正直関係ない(笑)。今また次のアルバムを作ろうとしているんですが、『自分ら、どこ行くんかな?』って感じで楽しみではあります」
――松井さんが当時の音楽に惹かれたきっかけは何だったんですか?
「家で親父が聴いていた音楽が古い黒人音楽だったり、ジャズだったりしたので、それを幼稚園の頃くらいからずっと聴いていました。自分で選んで聴くようになったのは50年代くらいのロックンロールかな? チャック・ベリーとかを聴き始めて、自分も楽器を始めるようになると、『なんでこんなプレイができるんかな?』って疑問を持ち出したんですよ。そうなるとその人のルーツが知りたくなって、ブルースを聴くようになって……」
――それは楽器をやり始めたころですか?
「そうです、中学生くらいですね。大丸の外商さんが持って来てくれたギターで(笑)。家にモノを売りつけによく来る人に、『ちょっとギター持ってきて』って言って(笑)、楽器屋さんには行かずに買いました」
――71年生まれで中学生の頃に楽器屋さんに行かずに外商さんからギターを買うって……(笑)。
「近くに楽器屋さんはあったんですが、何を買ったらいいかわからないじゃないですか? 『だったら、まぁ外商さんかな』みたいな」
――笑。何を買ったんですか?
「ヤマハのFGで、25,000円くらいのやつでしたね。それが1本目。それでルーツが知りたくなって、でもチャック・ベリーだったらギブソンの335とか、エレクトリック(ギター)じゃないですか? それでチャック・ベリーが影響を受けた人の音楽を聴くわけです。その次はまたその人が影響を受けた人、という感じでどんどん進んでいくと、SPの年代まで遡っちゃうんですよ。それ以前は楽譜なんですけど、そのあたりで奏法を分析すると、なぜチャック・ベリーがそういう演奏をしたのかがわかるんですけど、その頃にはルーツの方が面白くなっちゃっているんです。録音も良く、音楽的にも成熟した20年代後半くらいの音楽がすごく面白くなって、そのへんばかり聴くようになりました」
――たとえばどういう音楽ですか?
「黒人の弾き語りのブルース、イタリアン、カリプソなどのフォーク、ジャズ、ハワイアンとか。SPは1枚に表と裏で2曲しか入っていなかったんですが、YAZOOというレーベルが20~30年代の音楽をLPにして再発していたんです。それを買い集めて、YAZOOで気に入った人の音楽をまた買い集めて……どんどん深みにはまっていきました」
音楽の犠牲にしたものとは
――楽器はどのくらいの期間で習得したんですか?
「ギターは14歳くらいから始めて、17歳の頃には小さいお店で弾いていましたね」
――その活動自体がすごく昭和初期っぽいですけど、80年代の話ですよね?
「ライヴハウスの大きい音がすごく嫌いだったんですよ。だから小さい音のところばっかりでした。ジャズやブルースの小唄やギターのインストをやってました」
――すごいですね。ギターって、始めてから3年くらいでギャラをもらえるくらいにまでなるもんですかね……。
「高校に1年しか行かず、その後は勉強せずに楽器ばかり弾いていたんですよ。家族が音楽好きだったから小さい頃からピアノをやっていたし、楽譜も読めましたしね。高校1年生の頃は吹奏楽部でクラリネットを弾いていました。いろんな楽器を弾けるようになると、チューニングが違うのは大したことじゃないんです。音を出すのに必要なのは右手と脳ミソが重要なんで、右手さえできれば……左手は考えればわかるじゃないですか。理論がわかっていると、その楽器の特有な奏法さえ勉強すれば、あとはだいたい同じなんですよ。
ただ楽器の持ち替えが大変ですけどね……。マンドリンとウクレレなんかは、スケールがほぼ一緒で、マンドリンは複弦とはいえ同じ4弦でしょ? それが難しい!マンドリンの後にウクレレを持つとフォームを間違えるんです。スティールギターもチューニングがいろいろありますから、そういう意味でややこしいですね」
――古い楽器やアンプがたくさんありますが、どのくらいの期間で集めたんですか?
「20代後半くらいからかな? アメリカの『Vintage Guitar Magazine』を年間購読して、メールオーダーで楽器を買っていたんです」
――初めてこのスタジオに来たときに、「松井さんの歳でこういうヴィンテージの機材や楽器を集めたスタジオを作るなんて、いったいどういう時間をかけたんだろう?」って思いました。
「いろんなことを犠牲にしましたよ(笑)。高校も辞めちゃって、4年間くらい無職だったんで、その間ずっと演奏して、とりあえず勉強して。『このままじゃこれ以上行かないな』と、大学に行って勉強しようと思ったんです。……まぁホンマはそのとき好きだった女の子が大阪芸大を受けるっていうから、本屋に入って資料を見たら、音楽学科があったんです。僕は受かって、その子は落ちたんですけどね……」
――笑
「それで音楽理論を勉強するようになったんですけど、今さら取り返しつかないじゃないですか。今さら普通の仕事はできないし、高校は中退だし、大阪芸大だし、どこが雇ってくれんねん! みたいな話で。取り返しがつかないから、この業界でやっていこうと……(笑)」
――かなり自由人ですよね。
「就職したことがないんですよ。楽器屋で働いていたときもバイトだったし、実家にいたので稼いだ金は全部使っていましたね。ホント親不孝な感じで」
――稼いだ金を全部使わないとこんなに楽器や機材を集められないですよ。このスタジオを作ろうと思ったのはいつ頃ですか?
「1996年なんで、もう10年以上前ですね。最初はプライベートで練習、演奏する場所を作りたくて作ったんですけど、多少お金も稼がなきゃいけないので、じゃあレッスンでもしてみようか、とギターを教え始めたんです」
――ジャンルは絞っていたんですか?
「絞っていました。『長渕がやりたいなら長渕を好きなところに行けよ』って(笑)。うちはわかんないから(笑)。ラジオも聴かないからホンマ流行モノわからないんです」
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