Vol.1 野球少年からウクレレボーイへ転身
家族を悩ませた真夜中の練習
――日本へようこそ! 初めての日本、楽しんでいますか?
「ウクレレを弾きに日本に来ることは僕の夢だったのですごく嬉しいです。ずっと日本に行きたい、行きたいって言っていたんですよ。ハワイよりも暑くてビックリしていますが、食べものも美味しいし、人々は親切だし、とても素敵な国ですね」
――ありがとうございます。ハワイでは若手プレイヤーとしてすごく期待されているカレイさんですが、日本ではまだあなたの音楽を知らない人が多いと思いますので、基本的なことからお聞きしますね。まずウクレレとはどんなふうに出会ったんですか?
「子どもの頃はスポーツが大好きで、ずっと野球少年だったんです。ピッチャーだったんですけど、13歳の時に利き腕の左腕を故障して投げることができなくなり、1年間の休憩をとることになりました。それで退屈そうにしていた僕に両親が『ウクレレを弾いてみたいか?』と聞くんです。僕がイエスと答えるとウクレレのレッスンを受けることを勧めてくれました。それがウクレレとの出会いです」
――野球の球を投げるのは左手なのに、ウクレレは右なんですね。
「本来はすべて左利きで、右が利き手になるのはウクレレだけなんです」
――へぇ、不思議ですね……。レッスンはどこで受けていたんですか?
「ドゥリーナ・カネというクムフラからウクレレの基礎を習いました。彼女は僕の家のすぐ近くのコミュニティ・カレッジで初心者向けのグループレッスンをしていたので、そこで譜面の読み方など基本的なことを教わったんです。1年間習って、その後はアルフレッド・カノピンという人のプレイベートレッスンを受けました。彼からソロウクレレを習い、その後はずっとソロ・プレイヤーとして弾いています」
――初めて人前でウクレレを弾いたのは?
「14歳の時、従兄弟の卒業式のパーティーで『Come Back to Sorrento』というイタリアの曲を弾いたのが最初でしたね」
――カンツォーネの名曲ですね。最初に弾いたのがこの曲ってすごいですけど……、当時のレッスンではまわりの友達よりも上手だったり、上達が早かったんですか?
「それほど上手ではなかったんですけど、とにかく練習するのが大好きで、毎日深夜まで練習していました。それが唯一、自分が他の人よりもよくやったことです。ただ両親も夜中の練習には参ってしまったんですけど、やめてくれとは言いたくなかったみたいで、母はいつも耳栓をして寝ていました(笑)」
ウクレレピクニック2010のステージ。エキゾチックなメロディラインと繊細かつ情熱的なプレイで観客を惹き付けた。若干22歳とは思えないテクニック! |
――優しいご両親ですね。「うるさいっ!」って怒鳴られてもおかしくないのに(笑)。それにしても、なぜそんなに熱心に練習できたんでしょうね?
「ラジオでウクレレプレイヤーたちの素晴らしい音楽を聴いて、すごく彼らの音楽が好きだったし、ウクレレという楽器が大好きでした。自分も彼らのように弾けるようになりたいと猛烈に願ったんです。だから練習をさせられていたわけじゃなくて、やりたくてしようがなかったんですよ」
――特に影響を受けたミュージシャンは?
「衝撃を受けたのはジェイク・シマブクロでした。彼のパフォーマンスは誰も弾いたことがないような弾き方だったり音楽だったり、とにかくビックリしたんです。だからウクレレで何かもっといろんなことができるんじゃないかと自分でも追求し始めて、今に至っています」
――野球は完全にやめて、ウクレレにのめり込んだ?
「ええ、ウクレレを初めて2ヶ月で完全に野球のことは忘れてしまいました(笑)」
――ちなみに最初に弾いたウクレレは何だったんですか?
「カマカのパイナップルです。おじが持っていたアンティークのパイナップルで、1年ほど借りて弾いていたんですが、父がそろそろ自分のウクレレが必要だろうと買ってくれたのがウイラニ・ウクレレの6弦コンサート・カスタムでした」
――なぜ6弦のコンサートサイズを選んだのですか?
「4弦しか弾いたことがなかったので6弦という新しいウクレレを試してみたかったということと、それに当時僕はまだ小さかったので、コンサートサイズが自分にぴったりだったんです。手も小さかったので、テナーの6弦だと大きかったんですよ」
――話を戻しますが、ソロウクレレのレッスンの後はどんな練習をしていたんですか?
「アルフレッドのレッスンの後はいろんなワークショップに参加するようになりました。ゴードン・マーク、ベニー・チャン、バイロン・ヤスイ、キモ・ハシーなどのレッスンです」
――ビッグネームばかりですね。彼らからはどんなことを学びました?
「それぞれの先生から違ったことを学びました。アルフレッド・カノピンからはオールド・スタイルのソロウクレレを、ゴードン・マークからはクラシックを、バイロン・ヤスイからは音楽理論、ベニー・チャンからはジャズ、キモ・ハシーからは自分のスタイルを発展させるようなレッスンを受けました。それを全部組み合わせて自分のスタイルが生まれたんです」
ブライアン・トレンティーノ(中)、カマカ社のカスタム担当ケイシー・カマカ(右)とともに来日し、進化していくカマカのサウンドを聴かせた。 |
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