musician's talk ウクレレを愛するミュージシャンへのインタビュー
gray-dot


Vol.4:
ウクレレ人生、まだまだ続く。


sekiguchi

感謝の気持ちを人から人へ

cairo
メレカリキマカ2008“大人の文化祭”
 
―――関口さんがプロデュースしている毎年恒例のイベント、メレカリキマカのコンセプトを教えてください。
「ウクレレという楽器はボランティアとかチャリティーと切り離せないイメージがあるので、そういう活動は積極的にやっていこうと考えて、ポエポエ(東京・祐天寺と愛知・名古屋にあるウクレレ・ハワイアン雑貨専門店/カルチャースクール。詳しくは「Aloha Style」ページを参照)でも小児病院を訪問したりなどしていたんです。それで、ポエポエの一番大きなイベントはチャリティーイベントにしようと思い、1996年からやっているイベントです。2008年でもう12回目ですね」

cairo
メレカリキマカ2008“大人の文化祭”
 
――最初は発表会のような感じだったけど、今は文化祭のように生徒さんたちが関わってやっているとポエポエのスタッフから聞きました。
「来た人たちを楽しませようと、みんなでやっています。メイン・イベントがチャリティー・ラッフルといって、日本ではあまり知られていないけれど、海外ではよくある形式の抽選会なんです。みなさんにチャリティーで出品していただいたものに観客はそれぞれ自分の名前を書いたラッフル・チケットを投票するんです。チケットは1枚200円で購入してもらいます」

cairo
メレカリキマカ2008“大人の文化祭”
 
――参加されたお客さんの声は関口さんにどのように届いているんですか?
「教室の生徒さんたちは参加型にして、実行委員会もボランティアでやってもらっています。自分たちが積極的に楽しんでいこう、という思いでみんなやってくれているんですが、実際本当に楽しいし、その楽しいことが結果的にチャリティーとなってアフリカの子供たちへのワクチンになる、というシステムがすごくいいと言ってくれますね。単に『チャリティーをするからお金をください』ではなく、自分たちが楽しんだことが誰かのためになっている、ということはただ楽しいよりもいいですよね。だから自分たちが楽しんでいることに対してもやっぱり感謝の気持ちを持たなきゃいけない、と今回あらためてイベントのテーマを『感謝』にしてみたんです」

――素敵ですね。感謝さえしていれば人と人のつながりって素敵なものになっていきますよね。関口さんがおっしゃっていた「ハワイでは道を譲り合う」というお話と、イベントのテーマの“感謝”ってやっぱりつながっていますよね。
「そういう気持ちをどんどん人から人へ伝えていけるようなイベントであってほしいですね」

――ポエポエのスタッフに話を聞いたら、「私たちは関口さんから『こうしなさい』って言われることは一切ない。ただ関口さんはこう考えているだろう、こうしたいだろう、ということを自分たちなりに考えながら仕事をしている」とおっしゃっていました。いろんなことを感じて考えて行動するということがポエポエのスタッフにはしっかり伝わっているんですね。
cairo
メレカリキマカ2008“大人の文化祭”
 
「ボクの説明が上手くないっていうのもあるし、もともと口下手ということもあるんですが(笑)、スタッフはアロハの心を理解しているから、根本はブレないんですよ」

――口にしなくても大切な部分を理解してみんなが行動するということは、本当に難しいことだと思いますが、硬い言葉で言えば社員教育が徹底しているんですね。
「このイベントを実際にやってみればスタッフはみんなわかると思うんですよ。みんな総出でやってみて初めてわかるのかもしれません。どんなに楽しくて、それが人のためになっているのかということは、やってみないとわからないですよね。だからボクが語らずとも理解してやってくれるんだと思います」


音楽とは身近にあるもの

cairo
東京・祐天寺のポエポエ店内
 
――ポエポエに対してはどんな想いがありますか?
「ウクレレを習いに来る人たちも普段は別の仕事をしていて、余暇で習いに来ているわけです。彼らがハワイに行きたいと思ってもなかなか行けないじゃないですか。ボクが伝えたい、ハワイからもらったアロハな心は、彼らのような普通の人たちから広まっていくのが一番いいことだと思うんです。ボクがそういうことを語ることはほとんどないんですが、こういうイベントをやると理解してくれるんですよね。ボランティアを募っても積極的に参加してくれるし、そこに手ごたえを感じています。ひとりのサラリーマン男性に、『ボク、ウクレレと出会ってなかったら全然違う人生でした』って言われたことがあるんです。すごく嬉しかったです」

cairo
カマカの工場を訪問する子供たち
 
――ウクレレは生活になくてもいいものだけど、あることで人生が変わるという可能性を秘めたものですよね。
「ロイ・サクマさんの言葉なんですが、『ピアノを習っている子供たちはたくさんいるけれど、その子供たちが大人になったときに、いったいそのなかの何人がピアノを弾いていると思う? だけど、ウクレレだったら大人になっても弾けるんだよ』って。本当にその通りで、ウクレレって音楽を身近にしてくれる楽器なんですよ。音楽というものは上からありがたく頂くものではなく、常にそばにあるもの、自分で楽しめるもの、ということを具現化し表現できる楽器ですよね。ハワイに行って感じたことでもあり、ハワイの魅力のひとつに“音楽が身近”ということがあるんです。ハワイでは’Backyard Music’という言葉があって、「自分の裏庭で音楽をやる」=「楽しみで音楽をやる」という意味なんですが、それはウクレレやスラック・キー・ギターでやる音楽のことなんです。それを見て子供もやるようになり、代々伝えていく、という音楽のあり方って、すごくいいなと思うんです」

念願のイベント開催に向けて

――ウクレレピクニックin Hawaii 2009への想いや期待はありますか?

cairo
ウクレレピクニック2008
 

「ハワイからもらったものは個人的にもたくさんあるし、そう思っている人もたくさんいると思うんですね。そういう心を持ってハワイとつながりたいと思ったんです。そもそもこのイベントのきっかけはホクレア号(※1)のクルーのひとりがボクの妻にえひめ丸事件(※2)の遺族たちを紹介してくれたことなんです。えひめ丸事件のときにハワイでは募金活動などで、たくさんの人たちが協力してくれたと聞きました。ホクレア号は行方不明者の家族をえひめ丸が沈んだ海域まで連れて行ってくれて、そこで花を手向けたそうです。去年ホクレア号が日本に来たときにも宇和島市に寄っているんです。そこで慰霊をして、学校でワークショップを開催するなどしてくれたんです。その話を聞いて感動しました。そういう心に応えたいと思ったんですよ。遺族の方が何か別のかたちで慰霊式をやれたら、という話をしていたので、『じゃあ音楽イベントにしましょう』と提案したんです。マイナスな出来事もプラスの方向に持っていけるのではないか、と思ったし、音楽はそういう力を持っていると思ったんです。せっかくホクレア号でつながった日本とハワイの絆みたいなものをここから育てて大事にしていけたらいいなと思うんです。日本とハワイの音楽交流って、これまで何度もトライはあったと思うんですけど、なかなかうまくいっていないんです。ハワイのミュージシャンと、ハワイが好きな日本のミュージシャンが集まれば、もうちょっと違う形でやっていけるんじゃないかな、と思うんです。今回も確かにトライではあるんですけどね」

cairo
ウクレレピクニック2008
 

――第1回目というのは緊張しますよね。
「なんでも立ち上げは大変ですよね(笑)。でもたくさんの人々が協力してくれて、日本からはIWAOくんを含めたボクのバンドと、平井大くん、BEGINの島袋優くんなど、ハワイからはKONISHIKIさん、KAPENAという地元で人気のジャワイアンバンドと、SISTER ROBIっていうロコに大人気のドイツ系のハワイ人女性シンガー、僕の師匠でもあるオータサンなど、地元のミュージシャンが出演します。このイベントを観に行くツアーも組むんですが、イベント前日にも同じえひめ丸の慰霊碑があるカカオカ・ウォーター・フロント・パークでランチを食べながら演奏できるようにしようと思っているんです。海が見えて芝生がきれいな、とてもいい場所なんです。そして最後の日はKONISHIKIさん宅でBBQパーティーです」

――KONISHIKIさんのご自宅ですか? 参加者と出演者の距離がすごく近いんですね。ある意味ファンクラブ・イベントみたいな、スペシャルな企画ですね。

「KONISHIKIさんの家は観光客があまり行かないような、ネイティブが住んでいる区画のナナクリというところにあるんですが、車で道を走っているとすぐわかるような大きな家なんです。家の裏はすぐビーチで、すごくいいところです。そのほかにもオプションをいろいろと用意しています」

――ではファンの人々へメッセージをお願いします。
「2月14日のウクレレピクニックin Hawaiiは今までにないイベントなので、ぜひ目撃してほしいです。ハワイで音楽三昧って、なかなかできないですからね。単に旅行に行くだけじゃ面白くないでしょ? そこへ行って何をするかが重要なことなので、ぜひハワイで音楽三昧を楽しんでほしいです」


※1
ホクレア号
海図やコンパスを使わずに自然を読み航海する伝統航海カヌー。2007年1月にハワイ島を出発し、ミクロネシアの島々や日本の7つの寄港地を経て、同年6月、最終寄港地である横浜に到着。航海は無事に成功を収めた。

※2
えひめ丸事件
2001年、オアフ島沖で愛媛県立宇和島水産高等学校の実習船「えひめ丸」が、浮上してきたアメリカ海軍の原子力潜水艦「グリーンヴィル」に衝突され沈没。乗務員の35人のうち、教員3人、乗員2人、生徒4人が死亡した事件。
























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