musician's talk ウクレレを愛するミュージシャンへのインタビュー
gray-dot
Vol.1 フラ一家に生まれて

sekiguchi


――お母様のイワラニ・セイユさんがクムフラ(フラの先生)ということで、アリアナさんは3歳からフラを始めたそうですね。
「自分ではいつ踊り始めたのかは思い出せないんですが、母が3歳の私を抱っこしてフラを教えている写真が残っています。母がフラのハラウ(スタジオ)をオープンしたのが1974年で、私が生まれたのが1983年なので、ずっとフラと一緒に育ってきました。ウクレレやタヒチアンドラムなどの音のなかで育ってきたので、静かになると泣き出す子どもだったらしいです(笑)。はじめて人前でパフォーマンスした思い出はプリスクールに通い始めた3歳の頃、ミリラニにはじめてマクドナルドができた時です。母が私に赤い口紅をつけてくれ、ケイキ・ソング『Mele of my tutu e』を踊りました」(と言って歌いだす)
「だけど私はフラが嫌いだったんですよ」

――えっ! そうなんですか!?
「私は三姉妹の末っ子なんですが、小さい頃はいつも母に連れられてハラウにいたんです。とにかく踊りたくなくて、泣きながら床をドンドン踏んで抵抗していました(笑)。でもしばらく経つと、裏では泣いていてもステージに立つと笑顔。裏で泣いてステージで笑ってのくり返しでした。7歳のときにはタヒチアンダンスも始めて、それが自分にピッタリのダンスだと感じて、俄然楽しくなったんです。週に4回レッスンがあったので、フラ・シスター(一緒にフラを学ぶ仲間)とはどんどん親密な関係になっていくこともすごく嬉しかったんです」

――ダンスのほか、歌ったり楽器を弾いたりもしましたか?
「父がウクレレも歌も上手だったし、母はオリ(ハワイ語の詠唱)を歌うという音楽一家だったので、家族のパーティーでは父が演奏して私たちが歌ったり踊ったりしていました」

――お父さんはどんなお仕事をしていたんですか?
「もともとは海軍の船のエンジニアだったんです。だからプロのミュージシャンではなかったんですけど、ハワイアンは音楽が大好きな人ばかりだから、父はいつもウクレレを弾いていました。私は8歳くらいの頃、ロイ・サクマさんがミリラニのタウンセンターでやっているウクレレ教室に姉たちと通うようになりました。最初はクリアな音を出すためにしっかり弦を押さえなきゃいけないことが難しくて、指が痛いと騒いでいたのを覚えています(笑)。当時はフラもウクレレもピアノも習っていたんです。音楽全般を一通りやってみることが重要だと母は思っていたんでしょうね。ウクレレで最初に習ったのは『Twinkle Twinkle Little Star(きらきら星)』です」(と言って弾いてくれる)
「フラにのめり込んでからはウクレレを一生懸命やることはなくなってしまいましたが、親戚はみんないろんな楽器が弾けるので、ファミリーパーティーはすごく盛り上がりますよ。私はたくさんのコードは知らないですが、いくつかのコードを一緒に弾いているだけでハッピーなんです。ウクレレって、少ししか弾けなくても楽しめるというか、それぞれのレベルでみんなが楽しめる楽器ですよね」


――これまで大きな影響を受けたミュージシャンは?
「ロビ・カハカラウは子どもたちのためのハワイアンミュージックを広めたパイオニアだから、私も小さな頃によく聴いていました。その後はロックスタイルのハワイアンバンドであるカペナがお気に入りだったし、ずっとテレサ・ブライトの声も大好きでいつも聴いていました」

カマカ・ウクレレクラブのイメージキャラクター、カマカちゃんを「かわいい〜」と気に入ったアリアナ。キスしてもらってカマカちゃんも喜んでます!




















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