musician's talk ウクレレを愛するミュージシャンへのインタビュー
gray-dot
Vol.1 オータサンのルーツ

sekiguchi


――オータサンのご両親はどんな人でしたか?
「僕の父方のおじいさんが17〜8歳の頃に広島からハワイにやってきて、オオタの家の養子になり、父親はハワイで生まれたの。母はちょうど1900年にホノルルで生まれたんだけど、母の父親は山口県、母の母親は広島の人だから、僕のルーツは広島と山口にある。僕は二人兄弟の長男で、妹がいたの。父はクルマの修理工だった。日系2世だから戦争中はエイリアン扱いで、ハワイでは家も買えたかった。1952年になってやっと市民権をとることができて家を持てたんだけど、僕は1953年に大学を辞めて志願して海兵隊に入隊したの。それから11年間、海兵隊の通訳として日本と韓国にいた。でも鉄砲の爆音の影響で耳が聞こえづらくなって、身体検査に落ちてハワイに帰ってきたの。インチキしたけどダメだったのよ(笑)」

――両親は音楽が好きでした?
「そうね、父はバイオリンを弾いていたけど、あまり上手じゃなかったな。母はすごくリズム感がいいの。僕が最初にウクレレを習ったのは母からで、7歳の時だった。カマカのウクレレが5ドルだった時代よ。最初に教えてもらった曲は『Don't Sing Aloha When I Go』。ハンク・スノウが歌って全米1位になった曲なの」

――音楽の才能はお母さん譲りなんですかね?
「僕はウクレレ弾きを本職にしたくなかったけどね(笑)。海兵隊をやめて帰ってきて受けた航空会社の入社試験に落ちちゃったし、でももう結婚していたから仕事はしなきゃいけないし。そんなときに友達が『あんたはずっとウクレレを弾いてきたんだから』ってレコード会社の人を紹介してくれて、『SUSHI(鈴懸の径)』というレコードを出したらヒットしたのよ」

――お母さんの後は誰からウクレレを習ったんですか?
「当時はテレビもなかったし、ウクレレは一番安い楽器だから、みんながウクレレを弾いていたよ。僕もずっと独学で弾いていたんだけど、エディ・カマエのプレイを見てからは彼に習いたいと思って、彼を探してつかまえたの(笑)。僕は12歳、エディは19歳だった。7歳も違うのに、エディは僕を子ども扱いしないで同い年のように接してくれた。年齢に関係なく尊敬の念を持っていたの。今はみんなお互いへの尊敬がないから離婚するのよ(笑)。尊敬がなくなったら愛どころじゃないからね。愛で食べてはいけないから(笑)。エディにいろんなことを教わって、僕は15歳の頃にプロのミュージシャンになったの」



インタビュー中、自分で言ったことに大笑い
するおちゃめなオータサン。
――ウクレレに関してオータサンが一番影響を受けたのがエディさんなんですね。
「そう、ウクレレに関してはね。その後海兵隊をやめてハワイに戻ってきて、ハワイ大学でバーバラ・スミスというピアニストの教授に出会ったの。彼女は天才だし絶対音感を持っていて、まるで機械のように音の違いがわかるの。彼女から音楽理論を習った。理論をきちんと理解していれば何でも弾けるから。エディもこう言ったの。『たとえ1000曲覚えても、譜面を読めなかったら1001曲目を弾けない』ってね」

――それまでは譜面が読めなかったんですか?
「ある程度は読めたけど、ウクレレで弾くためにどう解釈したらいいのかわからなかったのよ」

――2010年2月の「ウクレレ・レジェンド・イン・コンサート」でエディさんと何十年かぶりに共演なさいましたが、あの時はどんな気持ちでしたか?
「エディはとても頭がいいし、インディアンの血が入っている。ゴールドラッシュの時代にたくさんのハワイアンがカリフォルニアに行ったから、ハワイにはインディアンの血が入っている人がたくさんいるの。エディは肩が広くて手が大きいでしょ? でも小さいウクレレを弾くのね(笑)。1951年だったかな、ハイスクールでエディと二人でコンサートをやったの。僕はまだ16歳くらいだけど、彼はすでにアメリカツアーをしていて、一緒にウクレレで世界を回ろうという計画を立てたの。だけど僕が海兵隊をやめて帰ってきたら彼はギャビー・ハピヌイたちと組んでいて、すごい人気者になっていたのよ。彼はお父さんからずっとハワイアンミュージックをやれと言われていた。でも彼にとってハワイアンは易しすぎたの」


――オータサンはハワイアンミュージックに関しては誰かに習ったんですか?
「誰もがウクレレを始める時はハワイアンよ。僕が子どもの頃はみんなジェシー・カリマを聴いて、真似をしたがったね。その後に出てきたのがエディ・カマエで、彼のテクニックはすごかった。まったく間違えることがないし、あまりに自然なテクニックにビックリしたのよ。僕はどんなに一生懸命練習してもあんなにスムーズには弾けなかった」

――エディさんに対し最も尊敬しているところはどこですか?
「人間そのもの。うまく説明できないけど、立派な人なの。昔はすごくお洒落で、靴はちゃんと磨かないとダメだったの。ハンカチも服にきちんと合わせてね。もちろんプレイに関してはすごいし、あんな上手い人を初めて見たの。新しいスタイルを作ったし、いろんなプレイを生み出した。最初に爪を長くしたのもエディ・カマエだったね」






















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